再構成版 日本一周徒ほほな旅 

         第1回:雨の松本を後にして



     1998年4月18日。7時半起床。とうとう旅立ちの日がやってきた。

     前日に三重実家から電車で松本入り。市街地の東、のどかな里山辺地区にある、大学からの友人
    ヨッシーのアパートに泊まる。ここはヨッシーの前に自分が3年半住んでいた所なので、気分的には
    自分の家で落ち着く。彼に作ってもらった朝メシを食べていると、これも大学からの友人くぼっちより
    電話。見送りのためにわざわざ埼玉から来てくれるのだが、もう松本に着いたらしい。迎えに来てもらい、
    彼の車で出発地の松本城へ向かう。

     9時前。松本城前の広場。巨大ザックを背負って入っていくと、すでに松本タウン情報と市民タイムズの
    記者さん、昨日電話のあったテレビ局(長野朝日放送)の取材班が待ち構えていて、早速インタビューを
    受けることに。

     本当は、里山辺のアパートから「じゃ、行ってきまーす」てノリで歩き出そうと思っていた。のだが、いろんな
    人から、「卒業した後どうするの?」と聞かれるたびに、「とりあえず歩いて日本一周してきます」と、特段
    隠しもせず答えていた結果、多くの友人が「それなら出発を見送るわ」となり、「人が集まりそうなら、広い
    場所にしたほうがええんとちゃう?」「松本らしい所でどうや?」ということで松本城になり、さらにバイト先の
    不動産屋の社長が「そんなおもしろいことするんなら、知り合いが市民タイムズ(松本のローカル新聞)の
    記者やっとるから話してみるわ」となり、人の好意は受けておくのが旅人の礼儀だと思っているので、特に
    考えもせず取材してもらい、その記事を見た長野朝日放送から前日の午前に連絡があり、さらにさらに
    ここ2年ほどお世話になっている写真屋さんとそこの常連さんたちが「じゃあ出発式やろう!」と盛り上がって、
    そんな成り行きの行き着く果てで、マスメディアに囲まれる現在である。

     その間にも、人は増え、くぼっち、ヨッシー、旅のホームページを管理する友人galiya、大学での「貧乏旅行
    同好会(というここ3年ほど入り浸っていたサークル)」の後輩たなかあいこ、大学院の五氏、すずき、あおやぎ、
    大月さんとその息子、留学生の張さん黄さんミハエラさん、旅の様子をラジオ番組で放送してくれるFM長野の
    田中さん、アパートの大家さんの西村さん夫妻、5年半勤めたバイト先である力寿司の大将、写真屋の主人の
    興膳さんとそこの写真の会の赤羽先生桜井さん三村さん丸山さん・・・、新聞を見てきたという方もいて、
    「がんばってください」と激励されたり、なんかたいへんな騒ぎである。
     流されるままに、写真の会のみさなんが主導して出発式。個人の旅立ちに挨拶も何もないのだが、
    「何だかたくさん集まっていただいてありがとうございます。1年ほど好き勝手に旅してくるだけですが、周りの
    みなさまもこれに絡んで楽しんでください」と、挨拶らしいことを、それでもたくさんの友人が集まってくれたことは
    嬉しいことなので、述べておく。

     大家さんから餞別をいただき、力の大将からは弁当ににぎり寿司をいただき、9時50分、いよいよ歩き出す。

     町中を西へ、国道19号を目指して歩く。長野朝日(以後ABNと表記)のカメラが付いているので、道行く人が
    振り返る。何か小っ恥ずかしい。新橋で国道に出て、一路北に向かう。と、歩道にこっちを見たニヤニヤする野郎
    2名。「歩いとる様子を見とかんとな」。ヨッシーとくぼっちが先回りして待ち受けていたので、しゃべりながら一緒に
    歩く。1時間ほどで松本ドライブイン。ベンチに座り、弁当の寿司を食う。雨が降ってきたので、ザックに雨カバーを
    付け、歩き出す。取材班も今日はここで離脱。ヨッシー&くぼっちも、車から手を振って帰っていった。


     お祭りが終わり、やっと静かな旅の時間になった。雨は土砂降り。傘はさほど役に立たない。車が水しぶきを
    あげて走り去る国道の歩道を、黙々と歩く。晴れていればアルプスを眺めて鼻歌も出ようが、それもないので黙々。

     行く手に、豊科町の標識。通り過ぎ、振り返る。裏側は当然「松本市」。


     


     標識を見上げ、始まったな、と思う。1年後、帰ってきた時に、この標識を見ることになるのだろうか。
    遙か先過ぎて想像がつかない。

     田沢駅前。スーパーの狭い軒下で雨宿り。地面が濡れて腰を下ろすわけにもいかず、ザックだけ下ろしてしばし
    たたずむ。雨の中、濡れ鼠一匹。


     重いザックと気分をひきずり、ドライブインから3時間。14時半、明科町の長峰荘で風呂に入る。内湯で汗を流し、
    在学中よく入りにきたアルプスを眺める露天風呂へ。山は相変わらず見えないので、ぼーっと浸かる。そこに
    「お、ちゃんと歩いてきとるやん」大学院の先輩五氏と後輩のすずきが入ってきた。彼らにはここに寄ることは伝えて
    あったのだ。「何かえらい騒ぎやったな」「自分の旅の趣旨とは違うんですけどね。かといってコソコソ黙って行くのも
    違うし、難しいですね」「でも、これで落ち着くな」「ここからは一人旅ですからね。ぼちぼち行きますわ」
     後は下らない話などしながら2時間ほど浸かる。17時、同じく後輩のあおやぎさんも加え、3人に見送られて出発。

     国道を進むが、よく知っている道はつまらない。国道をそれ、犀川沿いの田んぼの道へ。雨は弱まる。車が来ない
    道はのんびりしてよい。せっかく歩きなのだから、歩きによい道を選んで行こう。
     まっすぐな田んぼ道が堤防に上がった所で、前から見覚えのある車。先ほどの3人。「時間差付けて、歩いてる所
    見に行ったら、おらんからだいぶ探したで」「そら−、気分で歩くとこ変わりますからね(笑)」「ほな、気つけてな」
    
     そのまま歩いて、犀川橋。明科で国道から分かれて大町へ向かう県道の、少し大きめの橋。出発前から、1泊目は
    ここと踏んでいた。雨降りなので、河原はやめて橋の下。時々通る車の音がうるさい。暗くなってきたところでテントを
    張ってもぐり込む。ペットボトルに汲んできた水で米を炊き、ふりかけとインスタントみそ汁で簡素なメシ。
     食べ終わると、することがない。まだ19時。寝転がってぼんやり過ごす。「えらいこと始めてしもたなぁ」。半年前、
    思いついてからはずっと盛り上がっていた気分は、始めてみると全くのロー。これまでも野宿の旅はしてきているが、
    これが1年続くと思うと、さすがに気が重い。「1年野宿か・・・長いなぁ・・・まあ、考えてもしゃーない。そのうち、慣れる
    やろ」などと思考を巡らせながら、眠りに落ちた。



  1999年04月18日   長野県松本市(松本城) →長野県明科町(犀川橋) 雨|曇り  20km


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