「堂々たる旅」 〜 第2回 30年目の心の詩(うた)
誰か教えてくれ どこに行けばいいか (風の詩 〜THE
DAY)
彼らを初めて目に、いや耳にしたのは、ちょうど30年前の夏。僕は中学3年生だった。
たしかテレビで、広島の平和コンサートをやっていて、流れてきたのが、引用した詩である。
ホールの虚空に向かってヴォーカルの井口一彦が叫ぶ声が、何かしら心を捕らえた。
当時の僕は、同級生が、中学校の成績順に受験する高校を輪切りに選ぶのに、強い違和感を持っていた。
地域の一番手の学校に行ける成績は持ってはいたが、模擬試験ではそこ以外の所を先にして志望校を書い
ていた。最終的には、人の進路には口出ししないおやじ様の「行ける力があるならその最大の所へ行け」という
理屈もへったくれもないが、重い一言によってその高校へ進むことになるのだが、そしてその選択は正解だった
と入ってからは思うのだが、しかし、自分はこの先どっちへ行くのか?そんなことを漠然と考えていた。だからだ
ったのかもしれない。
当時の情報ソースは、ラジオか雑誌くらい、彼らはマイナー過ぎるのか、どちらにもほとんど登場しない。それでも
アルバムを手に入れ、高校生になってからは、東海ラジオの深夜番組に井口が出ているのを知り、友人たちが
オールナイトニッポンを話題にしている中、毎週「SFロックステーション」にチューナーを合わせた。
高校生になった僕は、元来のひねくれ者が一層顕著になってきて、「人がやるから自分もやる」みたいなのは
嫌だ、大学は家から離れて、まずは精神的に自立しよう、などと考えていた。そんな、高校3年生の夏。初めて
彼らのライヴに足を運ぶ。
何一つ変わらないものを 俺たちは持っていた きっとそれはいつだって思い出せるはず
汚れた手で 濁った瞳で 今でも信じている 失いかけたがらくたの中に 埋もれる心
(遠い足跡)
僕の人生の方向性を定める、ひとつの詩。汚れた、濁った、がらくた。スマートではないし、かっこよくはない。
むしろ泥くさい。僕がアナログでマイナーを志向する原点は、この辺りにありそうだ。今見返して、「徒ほほな旅」が、
まさにこの詩そのものだと思える。
僕は大学生になった。時同じくして彼らはバンドを解散。でも、その詩どもは、つかず離れず、いつも自分の側にあった。
時は流れた。2005年のある日、インターネットでたまたま、検索した。すると、彼らが復活するという。しかもそのライヴ
会場は名古屋。家から1時間とかからない場所である。そしてその当日。
やがて俺も家族を愛し 子どもを育て この街で戦う時が来るはずさ
そのとき 初めて わかり始めるだろう 男が 最後に守る砦の意味が (最後の砦)
この詩は、父が家を出て、母と暮らした井口の実体験に基づく。僕が高校生の時にはすでにあった詩。でも、この日、
この詩に当たって、涙ぶわーーー。ぶわーーーー。理由はひとつ。1年前に結婚し、年明けには子どもが生まれる予定
だった。放浪の旅をやめて就職したのは、家庭を持って子どもを育てるくらいせんと、男として一人前のことは言えない、
と思ったからなのだが、その原点をこんな所に発見した。「城」ではなく「砦」。武器も食料も充分でない、けれども日々
戦わねばならない。家族を背負うことの重さを実感した。詩で涙したのは、45年生きてきてこのときだけだ。爾来、なぜ
働いてるのか、ふと考えるたびに、この詩が頭に浮かんでくる。もうちょっとはがんばろうかな、と思う。
翌年もライヴがあったが、その後彼らはまたしても音信不通に。まあ、またそのうちに出てくるだろう・・・。
2018年の今年、またもたまたま検索すると・・・復活しとるやん、去年くらいから。しかも今年が30周年。30年。その間ずっと
彼らの詩とともに僕の人生はあった。自分の人生で30年続いていることなんて、他に思いつかない。
そして今週末。「約束の地」のタイトルのもと、彼らは名古屋に帰ってくる。
次に僕の心を突き動かすのは、どの言葉だろう。
奴らの名は、「THE HEART」。心の詩(うた)を奏でる漢ども。
2018年11月20日