北海道・中編  神の山、大地のどまんなか  


     テントの外がぼんやり明るい。時計は...午前4時30分。テントから顔を出す。曇っているが、晴れ間も見える。
    テントの入り口を開けたまま、空を伺いながらメシを食い、出かける準備。

     トイレに出たついでに、展望台に登ってみる。北西方向、斜里岳が見えている。あっちに行こうかなぁ。
    徐々に雲がなくなり、青空が見え始める。よしよし。

     7時をまわった。とりあえずガソリンを入れるべく、中標津の市街へ直線路をぶっ飛ばす。
    給油と、セイコマートでパンを1袋仕入れ、直線路を西の方へ向かう。
     養老牛。くだんの山が雲間から現れる。


    

     右奥に見える、尖った山が、この旅最大の標的、カムイヌプリ。アイヌ語で「神の山」。
    摩周岳、という別名を聞けば、それが摩周湖に近いことは分かるだろう。
    雲間から見える頂は、こんなに遠くから見ているのに、人を寄せ付けない「怪峰」を思わせる。


     今回の旅で、山に登るつもりなことはすでに述べた。
     で、どこに登ろうか。大雪山か、知床の羅臼岳か、百名山の斜里岳、利尻島に渡って利尻富士・・・。
    大雪は黒岳は一応登ったし、北海道に何べんも来てるのに有名どころじゃあなぁ・・・。
    と、パラパラと地図を眺めていたところに飛び込んできたのが、摩周岳。その名のとおり、摩周湖の脇に
    そびえる神の山。たしか湖の展望台から道があったはずだ。摩周湖は何回も行ったが、山は登ってない。
    山頂から見る摩周湖はどんなんだろう。これはワクワクするぞ。
     早速大きい本屋へ行き、国土地理院の25,000分1地形図を探す。自然に分け入る時は、登山地図やガイドは
    情報量がありすぎてつまらない。地形図から地形と景色を読み取るのが楽しいのだ。
     「摩周湖」の地形図を広げる。展望台から摩周湖の外輪山に沿って歩道がある。湖を見ながら山頂までハイキング
    だなあ・・・、と山頂まで線を辿っていくと・・・、あれ、何じゃこりゃ・・・。
     標高900m以上の山頂の南側、湖の隣に、閉じた等高線の輪、その中心の広い円に「375m」と書かれている・・・。
    隣の湖の水面も標高300mほど。・・・つまり、でっかい穴。つまり、

    「か、火口????!!!!」

     知らなかった。摩周湖がカルデラ火山なのは知っていたが、火口があったなんて。そんな写真見たことないぞ。
    これは、俄然楽しくなってきた。さらに登山道の線を追うと、山頂の手前から東に向かう道。その先には「西別岳」なる
    山がある。道はそこを通り過ぎ、麓の林道らしき所へ下っている。この西別岳南東斜面、等高線の入り組みが少ない。
    山頂から麓まで、等高線がきれいに並んでいる・・・これって、

    麓から見たらでっかい丘か?!それって、開陽台のでっかい版とちゃうか?!

     これはおもしろい。でっかい丘から広がる大地を堪能し、その向こうに鎮座する神の山と湖と、未知の火口を拝んでくる。
    実際の道がどれほどなのかは行ってからのお楽しみだ。当然それ以上の下調べは一切せずに、この地にやってきた。


     地形図を頼りに林道の入り口を探して直線路をゆく。と、道ばたに木製手作りな「西別岳登山口」の看板。
    ジャリ道を牧場から森の中へと、深く分け入る。だいぶ走ったけど・・・と思ったころに広場に出た。
    ここが登山口らしく、立派なログハウスが建っている。どうやら地元の山岳会のものらしい。探索はあとだ。
    空はすっかり晴れ渡る。荷物をまとめていると、バイクの排気管の熱にアブ軍団群がる。当然人間も標的だ。
    さすが道東。自然がいっぱいとは、こういうことでもある。9時、逃げるように出発。まずは針葉樹の森の中、
    アブ軍団にまとわりつかれながら進む。すでに暑いが長ジャージはいてきて正解だ。ジャージの上からぶっ刺して
    くるアブをたたき落としながら前進。すぐに森は疎らになり、同時に登り坂。アブをたたき落とすのがめんどうくさくなり、
    時々やっつける程度にしといてやる。
     そして目の前に笹の原の急斜面、道は直線激坂で登っていく。

    


     笹原は風が強い。そうなるとアブも減って一安心。しかし、きつい登りだ。
    手作りな道標には、「がまん坂」。地元の方が刈ってくれているようで、道はきれいだ。
    滑りやすい砂の道は、まっすぐに登る。肉体が運動を渇望しているので、キツイの上等だ。
    やがてダケカンバの林が出てきて、それを過ぎるとお花畑だ。8月で高山植物のピークは
    過ぎているようだが、道ばたには黄色やらミニマム紫やらを咲かせている。蝶が多い。

     しばらく登った。稜線はまだか。と、道標に「右 リスケ山」。山頂のひとつだろうか。
    そちらへ進むと、不意に眼前広がる。


    


     対面。尾根の向こうに蒼い水たまり。しかし、湖は脇役に過ぎない。

     振り返れば原野の森、牧場、そして霞む地平線まで広がる大地。

     ここからは右手に山と湖。左に大地を眺めての、ゆるやかな上り下りな稜線歩き。
    蝶、ますます多い。オレンジ色と茶色のまだらの羽のやつ、オレンジの羽に青い目玉の
    あるやつ、カラスアゲハにモンシロチョウ・・・。赤色にギザギザ模様の入った蝶が、
    道案内をしてくれる。大地側は少々霞がかかっていまいちだが、しかし、気分は高揚する。

     いくつかの小ピークを越え、30分ほど楽しく歩くと西別岳の山頂だ。


    


     原野から風が吹き上がる。雲と大地がむこうの彼方でくっついて、境目が分からない。
    遙かな広がり、原野に向かって飛べそうだ。
     そして振り返る。そこにはこの大地の「主」が鎮座する。








    


     正面にまわって、より迫力を増す、神の山。湖を従え、灰色のギザギザが天を突く。
     何より、くだんの火口が天に向かって口を開ける。
    

     時計は10時40分、山に向かい、尾根上の踏み跡へ。道は細い。
    笹と灌木の尾根を下ると、森の中の平坦な道になる。高さ5m程度の低い白樺の林。
    信州の高原で見るやつよりも、明らかに低い。

    
    


     冬は雪以上に風と気温が厳しいのだろうか。
    しばらく森を進むと道は直角に西に折れる。さらに行くと、摩周湖の展望台からの道が合わさる。
    暑い。ベンチがあって休みたいが、アブがどこからともなく来襲につき、退散。
     道はまた細い。笹原を抜け、灌木の中をゆるやかな登り。火口は左側にいるはずだが、微妙に
    見えない。先行する夫婦をあいさつして追い抜く。登りがきつくなり始める。と、左手に登れそうな大岩。
    もしや。登る。

     足下から風が吹き上がる。でかい。頂上直下は、西別岳から見たまま、灰色の岸壁が屹立し、
    崩れた岩くずが火口の底に堆積している。しかし、意外なことに、火口の西側は底から火口縁まで
    深緑の森に覆われている。火口、というより大地に開いた穴だ。しかし、でかい。地図で見ると直径1km
    くらいだからでかいのは当然だが、そんな数値が吹っ飛ぶくらい、でかい。

     我に返って、山頂を目指そう。ここからの500mほどが樹林の中の厳しい登り。木の根をつかんで、ジグザグ
    登る。
     「イテッ」 左人差し指に激痛。何かに刺された。指に水ぶくれ。しかもみるみる膨張していく。なんじゃ
    こりゃー。なんかやばそうだ。毒を出すべし。水ぶくれを歯で噛み切る。汁が垂れる。ふう。しかし、何だろう。
    虫とかの気配はなかったようだが、植物なのか?
     気を取り直し、手元に注意しながら木をつかんで登る。ふと頭の上に青い空。そして。










     蒼い。本物だ。これは、展望台から見る、絵はがきによくある、飼い慣らされたやつではない。
    この山頂に立つ者だけに見せてくれる、摩周湖の素顔、とでも言おうか・・・。



    


     火口側。緑の壁は、反対側の火口壁。腹ばいになって草の向こうを覗く。
    体の下は数百m下まで灰色の崖。こわい。よってこれ以上の接近は無理。
    対岸の緑の壁は底まで続き、底は平らな灰色の広場。あそこに降りたらどんな眺めなのだろう?
    しかし、でかい。湖が副産物に見える迫力だ。火口というより、「神の穴」とでも言うべきか。


     改めて、見回す。足下に摩周湖広がり、緑の台地の向こうにオホーツクの海が霞む。その右は斜里岳か、
    知床の山なみが続く。開陽台からはぐるり180度の地平線、広がる原野。そのまま西に目を転ずれば
    弟子屈の町が小さく、山々の間から海坊主のような雄阿寒岳、その左奥に阿寒富士、雌阿寒岳には少し雲
    がかかる。そして巨大な屈斜路カルデラの湖水、硫黄山などの小火山群。
     この大地から、火を噴いて誕生した山々だ。

     一周して、再び足下。


    


     砂浜が白く、透明からエメラルドグリーン、そして青が濃くなっていく。

     これらのものどもの間を隙間なく敷き詰める森森森森森・・・。でっかい空を仰ぐのを忘れる。
      
     ここは、大地の中心だ。


     先ほど追い抜いた夫婦が上がってきた。60過ぎで札幌から来たというご夫婦の話では、昔はあの砂浜に
    降りてキャンプしたとか、浜にはヒメマスの養殖場があったとか。
     浜に降りてあの水に触れたら、泳いだら、妄想が広がるが、今は道はない(行ってもこんな所には書けない)。
    でも、それは何だか畏れ多いような感じもする。

      お茶を沸かし、夫婦とともに昼食。そして飽きずにぐるぐる見回す。そして、発見。





      西別岳。でっかい丘だと思っていたが、これは違う。この形、古い火山ではないかい?浸食されてだいぶ
     丸くなっているようだが、火口と外輪山だな、これ。こういう発見は、ちょっとうれしい。


      360度いつまでも見回していられそうだが、もう13時をまわった。夫婦とともに山頂を後にする。
     刺されるのがコワいので、軍手をはめ、蝶をお供に西別岳への森をゆく。






      1時間ほどで、再び西別岳山頂。






      でかいそら。                            ひろがるだいち。

     「是日也天朗気清 恵風和暢」(王羲之『蘭亭序』)

     最近書道教室で書いた一説を思い出す。

    腰を下ろす。キアゲハが行きと変わらず追いかけっこしている。
    赤とんぼも、ちらほらと現れる。


    ここでこのまま野宿したら、すばらしいだろうなあ。が、それはまたいつかだ。
   名残は惜しいが、そろそろ下りねば。

    蝶をお供に軽快に下る。大地が、徐々に迫ってくる。



    



      40分ほどで登山口。いい時間だった。
      ログハウスに寄る。地元山岳会のものだが、自由に使っていいらしい。ただし水場はないが。
     こぎれいな室内には、花の写真たくさん。ツリガネニンジンだけは分かった。

      まだ15時。バイクにまたがり、林道を東へ。迷路のようでなかなか県道に出れず少し焦る。
     
      こんな気分のいい日の締めは、養老牛からまつの湯だ。小川の脇に熱い源泉、野天風呂に浸かれば、
     目線に川、青空の下、対岸の木々のから傾いた日の光が漏れる。

      脳みそまで溶けたせいで、廃道のダートに突っ込むわ、途中で三脚落としたのに気づいて拾いに戻るわ
     (三脚は、舗装路の真ん中にきちんと落ちていた)、それでも気分よく開陽台の我が家に帰宅。
     展望台の売店でアイスを食い、町へ買い出しに。そしてテントの前にドカシートを広げ、暮れゆく空の下で
     メシタイム。朝、出発するライダーさんにもらった野菜を投入した味噌汁と米で満腹だ。
      片付けてシートに転がると、夏の大三角あたりから星が増えていく。しかし、西から黒い雲が・・・。
     それでも流れ星1つめ!しかし、徐々に雲に霞む空。30分後、周りは真っ白。終了だ。仕方がないので
     テントにもぐる。足下からいい疲れが体を上ってくる。楽しかった。おやすみ。


    


  2005年8月13日  北海道中標津町  晴れ     走行距離 約80km + 歩行距離16km


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