北海道・後編  旅人のバス停 



     う〜ん。明るいなぁ。時計に目をやる。8時すぎ。窓の外、すっかり青い。今日もめっちゃええ天気や。
    寝袋から這い出る。今日は旅立ちの日だ。ディグリーさんはすでに起きていて、荷物を片付け始めている。
    他のみんなもばらばらと起き出す。さっと米を炊き、手早く朝めし。片付けて、トイレへ。

     芭露駅のトイレ、いや、「便所」と言う方が正鵠を得ている。おそらく駅開業時ままの木造板張り。当然ながら
    ぼっとん式。そして何よりもキョーレツなるはそのニオイ。小用なれば息を止めて脱出することも可能だが、大と
    なるとそうはいかん。昭和の頃より蓄積されしその香りに卒倒寸前。6年前にも思ったが、これ以上の便所は
    自分の人生において経験したことがない。しかしそんな便所も駅ともどもまもなく終点である。などと感慨に浸っ
    ていると鼻がひん曲がって呼吸困難に陥るので、さっさと用を済ます。

     ある程度片付いた。みんなでたくろう牧場へお茶しにいこう!ということで、ばらばらと牧場へ。
    先日は風呂に入ったが、その手前に小さな手作り三角ログハウス。セルフサービスでお湯を沸かし、しばしコー
    ヒーをすすり、のべーんと過ごす・・・いかん、またやる気が溶けそうだ。

     1時間ほどくつろぎ、オーナーさんにあいさつして駅へ戻る。駅長と漁業長以外は出発するので、いよいよ荷造り。

    

     みんなで記念撮影など。駅はなくなっても、どこかで、また、会おう。

     11時。みなさまに見送られ、走り出す。駅前交差点を右、すなわち北へ。



     芭露駅で、出会うものに出会って、旅のピークは過ぎた。ついでにこの沈没で旅の予備日(道草可能日数)も
    使い切った。現実には、あさっての夕方には苫小牧から船である。ピークを過ぎたのだから、ここを終点に帰って
    いくのも悪くない。しかし、せっかく家から自走で、船も最低限の大間函館航路で来たので、物理的な終点の宗谷岬
    は踏んでいこう。



     数えれば出発から2週間。しかし感覚としては、いつから旅しているのか、いつまで旅するのか、分からなくな
    っている。やっと旅の空が日常になった。だから、このままどこまででも走っていったろかと思っちまう。

     そして、ここからのオホーツクの道は、そういう道だ。右手に海。周りは原野か牧草地。以前、地元のおじさんが
    言っていた。ここは気候が厳しいから、畑はできない。畜産と漁業がやっとだ、と。旅情などと言うには、あまりに
    厳しい土地。そんな原野の道を、北へと、ゆっくり流れる。



     1時間ほどで紋別の街。この辺りでは大きい街だ。道の駅にある流氷館を見学。クリオネが飼育されており、
    ぼんやり眺める。


     再び流れる。今日はぶっ飛ばす気分ではない。1時間ほどで雄武町。道の駅にバイクを停め、近所のスーパーへ。
    500円で大ぶりの地物の筋子(←鮭の卵のバラしてないやつ)を購入。今夜は筋子どんぶりだ。
     そのまま町中をぶらぶらしてみる。


    

     雄武神社。ごつい社殿。トタン屋根の錆びが、この地の風雪の厳しさを物語る。
    神社といっても、内地と違って歴史は浅い。が、この地を開拓した人々の心のよりどころとして、この地を
    守っているのだろう。由緒書きの看板を読みながら、北海道でこういう神社を訪ねるのもいいかもしれないと思う。


     時計はすでに15時。


     走り出す。


     北緯50度近くの空は、水色だ。その水色が、水平線に近づくにつれて淡く、限りなく透明に近づき、海の青と溶ける。
    オホーツクブルー、と僕は勝手に呼ぶのだが、道ばたにバイクを停め、つい見とれる。
     (ライダー編indexの写真がそれ)。


     枝幸町。国道をそれ、町中に進路をとる。記憶にある交差点。しかしそこにあった旅人の巣窟は、きれいな更地に
    なっていた。やはり、時は流れている。


     原野と海の道に急に立ち塞がる神威岬をトンネルで抜ける。そして茫洋の広がりが再び続く。



     浜頓別町豊牛。道沿いに、民家が数軒。

     その中に、ふと見覚えのある小屋を発見。急ブレーキで小屋の前にバイクを停める。


    

     豊牛バス停の待合室。隣にはトイレ付き。この辺のバス停の標準仕様だ。

     バス停小屋の中に入ると、やはりあった、旅人ノート。
    ぱらぱらめくる。当然ながら来訪者は少ない。ライダーチャリダーならこの小屋に入る必然は全くない。
    あるとすればたまたまの雨宿りくらいか。あとは、国鉄の廃線廃駅を訪ねる人くらいだろう。
     そして、ノートをたどっていく。6年前の自分に出会う。


    

     ノリが軽いな(苦笑)
    しかし、年間で見開きくらいしか書き込みがない(笑)
    今度はいつ来るか分からんが、タイムカプセル的に、ノートを書く。

     小屋を出て、民家の間、その奥に駅舎は変わらず健在。国鉄時代の廃駅ながら建物は新しい小屋。
    蜘蛛の巣が張っているが、そこそこきれい。宿泊も充分可能なレベル。
     そしてホームへ。

    

     こちらも6年前と変わらず、草ぼうぼうの線路跡が向こうの森へまっすぐ伸びている。

     時間は、ずっと止まっている。


     戻ってバス停小屋。あえてここで泊まるのもおもしろいかもしれない。が、旅の流れというか、必然がない。
    ここで寝る価値は、歩きか、チャリダーにしかないだろう。また今度だ。(←今度っていつやねん)

     再びバイクにまたがる。時間が流れ出す。

     浜頓別までは6kmほどだが、右手にオホーツクの水平線。それが行く手で地平線とつながる。原野の
    一本道。どこまでも同じ世界をどこまでも走って行く。そんな錯覚を覚える。



     必然、ということばが頭に残る。宗谷岬は当然バス停の小屋で泊まるつもりだった。しかし、バイクの場合、
    わざわざバス停でなくても、エンジンの力で、キャンプ場まで行ける。もしくは野山に分け入って自分だけの
    幕営地を探すこともできる。バス停泊まりは人力にこそふさわしいのではないか?バイクなのにバス停という
    のは、たんに徒ほほな旅の郷愁に浸っているだけではないのか?そんな疑念が、頭に渦巻く。     



     ハマトンの町を抜け、原野の台地。時々、沼。たまに、集落。人の住む気配がいよいよ薄い。



     かといって、バス停以外の選択肢も思いつかない。とりあえず、着いてから考えよう。人力の旅人で混んで
    いたら、彼らに場所を譲ってどこかでテントを張るのもいいだろう。



     浜鬼志別を過ぎると、道は海沿い、左手は笹原の丘。前方行く手のはるか先には、岬らしい地形が見えてくる。

     道は東浦で台地に上がり、白樺の林を抜け、だしぬけに丘から海へ駆け下りる。いよいよだ。

     


     大岬の村はひさしぶりに大きい。民家の間を抜けると土産物屋群が現れ、そしてその続きに、宗谷岬の園地。

     バイクを、道ばたのバス停小屋の横に乗り付ける。18時。
    先客は誰もいないようだ。決めた。やはり締めるのはここしかない。早速荷物を下ろし小屋の中へ。
    前回は外も中も旅人による落書き全開だったが、ペンキできれいに塗られている。天井には電球付き、スイッチ
    オンで点灯してくれる。前回と同じ長椅子ベンチに寝床と荷物を広げて城を作る。と、曇っていたはずの外が明るい。


    

     長い北帰行のごほうびだな。

     夕陽が海に溶けきるまで、ぼんやり眺める。


     バス停に戻る。さあ、メシを炊こう、とがさごそ用意していると、表にチャリダーが停まる。
     「こんにちは〜、ご一緒させてもらっていいですか?」
     「もちろんです、どうぞどうぞ。今んとこ僕だけなんで」

      大学生のユーキは、昨日もここに泊まったという。アメリカに留学していて、今は夏休みで、自転車で日本一周中。
     メシを炊きながらこれまでの旅の話など。昨夜の芭露駅の話をしたら大笑いして、
     「長く旅していると、そういうのに出会いますよね」

      と、外にチャリダーと思しき人影が。

     「こんばんはー、私も泊めてもらっていいですかー?」

      デイブと名乗ったチャリダーは、北海道一周中の陽気なアメリカン。今は北海道南部の森町で英語の先生を
     していて、夏休みを使って旅しているという。
     「2人はどこから来た?」「僕は愛知県、名古屋て言うた方が分かる?」「分かるよ、えーと、魚、ちがう・・・」
     「しゃちほこ?」「そう、しゃちほこ、屋根に乗ってるの」「よく知ってるじゃん」
     デイブのマシンガントークで打ち解ける。手持ちの缶ビールを2人に渡し、「最北端の旅の夜ににかんぱーい!」

      お昼に買った筋子をつまみに酒盛り。デイブに聞いてみる。「アメリカではどこか旅したの?」「したよ、自転車で
     サンフランシスコからニューヨークまで」「アメリカ横断やん、何がきつかった?」「ロスからシカゴまでは、ロッキー
     を越える、山は厳しいね、きれいだけど。でもそれよりその後。シカゴからは昼間は暑いよ。55度まで上がる。チャリ
     もジッパーも灼けるよ。 You can die. だから10時から3時までは休み」「水とかどうするの?」「5本はいるね、
     ペットボトルで。すぐなくなる」「アメリカはヤバイよ。一番はgunだ。ロスのアンダーパスは特にヤバイ。ポリスが車の
     ホースを切る。近づいたらダメね。でもカナダは安全。旅するならカナダがいいね、おすすめ」
     「日本にはスーパーガール、いないね」「スーパーガール?」「自転車とか、歩くとか、で旅する、スーパーガール」
     「いないことはないと思うけど、少ないね。僕も今回は会ってない」
     マシンガントークは、旅の装備の工夫から、旅の夢へ続く。
     「ユーキは次はどこへ?」「留学中にアメリカを走りたいね、自転車で。どこかは決めてないけど」「たにぐうは?」
     「僕は決めてるよ。歩いて日本二周目。一周する人はいても二周目やる人って聞いたことないし。30年くらい後だ
     けど、20代と50代では、見えるものも変わるだろうし。デイブは?」「日本にいるうちに、あちこち行きたい。次は
     富士山。11月23日に、アメリカから来ている仲間と、富士山を一周するんだ。御殿場のデニーズから。1日かけて。
     その頃はどこにいる?来れるなら、一緒に走ろう」

      「旅の夢」。いい言葉だ。旅人には国籍は関係ない。

      「明日は200km走るんだ。そろそろ帰らないと、夏休みが終わっちゃうね。あー、つかれたー。そろそろ寝よう」

      片付けて電気を消す。寝袋にもぐりこむ2人をよそに、外へ出る。ライトアップされた最北端の碑に背を向け、裏の
     坂道を丘の上へ登る。ここには旧海軍の見張り台が今も残る。カシオペアと北斗七星が大きい北の空。冷たい風が
     そよぐ。この旅が物理的にも終点まで来たことを実感し、バス停ホテルへ戻る。






      翌朝。目を覚ますと2人はもう出発の準備をしている。外はすでに明るいが、時計は4時半。荷造りする様子を
     寝ぼけ眼でぼんやり眺める。自転車に荷物を積み始めたので、バス停の外へ出る。

      

      「この子は?」「ああ、こいつは旅の相棒さ。彼を見ると後ろから来るクルマは、みんなスピードを落としてくれる
     んだ。そして追い抜きながら彼と僕を見て、手を振っていくのさ。おかげで僕は安全。気分もいいしね」
     なるほど。単にネタかと思ったが、結構考えているようだ。しかし、キャラがデイブまんまやな(笑)

      

      最北端の碑へ自転車ともども移動し、朝っぱらからうろついている観光らしき若者に頼んで記念撮影。
     「それじゃあよい旅を」「またどこかで会おう!」ユーキは稚内の方へ、デイブはオホーツクの道へ、それぞれ走り
     去る。

      バス停ホテルに戻り、米を炊きながら日記をつけ、質素にふりかけごはんインスタント味噌汁。荷物を単車に
     くくりつけ、一夜の宿に別れを告げる。やはりここは旅人の集まるバス停だ。そして、人力ではるばるやって来て
     こそ、最も価値がある気がする。宗谷岬は最北端の碑でも証明書でもなく、やはりバス停である。

      バイクにまたがり、丘の上の海軍望楼再び。オホーツクブルーの水色の空。ベタ凪の海面が、鏡となって空を映す。
     ここにテントを張っても気持ちよさそうだ。

      まだ7時。そのまま丘の向こうへ続く道へ。丘は宗谷丘陵と呼ばれ、氷河の時代に削られてできたもので、谷の
     深い大きな丘がいくつも連なる。風力発電の風車が林立するが、しばらく分け入るとそれもなくなり、草っ原と森林
     が混じりあってどこまでも続く。キリがないので道ばたに停車。エンジンを切ると、立派な二車線道路以外に人工物
     なく、音もない。自然と人工のはざまの、不思議な空間。
      これ以上深入りすると帰れなくなりそうだ。探検は次の楽しみにとっておくことにして、来た道を戻る。

      岬までの戻り、国道を稚内の市街へ。稚内駅で駅そばを食し、ノシャップ岬にある、寒流水族館へ。ちょうど9時で
     開園。

      

      ゲートを入ると、いきなり道にアザラシが転がっていて驚く。あっけにとられていると、飼育員のおじさん、「とりあえず
     はおとなしいから、近づいても大丈夫よ。ただし触るとかみつくから気をつけなよ」。というか、無造作に転がしてある
     のが可笑しい。アザラシ君は、人が通ってもおかまいなく、眠そうな顔をで転がっている。しゃがみこみ、にらめっこを
     試みるが、全く関心を示してもらえない。仕方がないので、館内へ。
      回遊水槽では、タラとかイトウとか、マツカワ(カレイの仲間)のでかいやつとかが、ぐいぐい泳いでいく。寒流、
     というだけあって地元魚ばかり、しかも、地味だ。地味だけど地味なりに迫力があってついつい見とれる(←刺身
     うまいそうだなぁ)。ウリはフウセンウオなる、ミニマムふぐ提灯みたいなやつ。腹に吸盤があって、みんな水槽に
     くっついている。規模は小さいが濃いローカル水族館だ。1時間ほどぶらぶらし、相変わらず転がったままのアザラシ
     君にあいさつして、走り出す。



      ここからは日本海側。道道106号は電柱もない原野の中、右手に日本海と利尻富士を眺めるぶっ飛ばし道路、
     なのだが、あいにく曇り空で利尻は見えず、開放感もなくどんよりいまいち。こうなると原野の直線路も退屈で眠い。

      眠気と戦いながら1時間ほどで天塩の町。噂に聞いていた、天塩温泉へ。外観はよくある小ぎれいな温泉センター
     である。しかし、脱衣所に入った所で、すでに怪しいニオイが漂ってくる。小ぎれいな建物に全く不釣り合いなその
     ニオイ。
      浴室の扉を開ける・・・「おえ、なんじゃこりゃー」。浴室に超キョーレツぼっとんトイレ臭じゅうまん。これ、芭露駅の
     トイレよりも臭い(笑)。お湯の注ぎ口で湯をすくって顔にばしゃーん。うお!同じくキョーレツぼっとんトイレ臭・・・だけ
     じゃない!キョーレツ油臭が鼻腔奥深くを突く。灯油なんて生やさしいものではない。鼻がひんんまがるとはこのことだ。
     行きに浸かった秋田の金浦温泉よりも強力だ。なめる。塩辛い。ギリギリなめても耐えられる。コーヒー色透明のお湯
     に浸かる。油のせいか、かなりつるつる。しかし、くさい。ちなみにニオイの正体はアンモニア。温泉成分33410mg/kg
     というのがすでに濃厚なのだが、その中にNH4イオンが282.2mgも。こんな数値見たことない。臭い臭い言いながら
     も、顔はニヤけたまま、超個性派温泉を堪能。しかし、これに毎日浸る生活ってどんなんなんだろう。


      13時、ようやく上がって、再び走り出す。相変わらずの曇り空。海沿いに行っても盛り上がらないので、道道を内陸へ。
     国道40号に入り、とろとろと南下していく。名寄を過ぎると、牧草地が消え、田んぼが広がる。同時に、牛糞臭がしなく
     なった。田んぼの風景に、最果てから帰ってきた気になる。そのまま旭川の市街地へ。函館以来の都会にめっちゃ
     違和感。街を通り抜け、西神楽の公園にある無料のキャンプ場へ。小さいながらも森の中で雰囲気はよい。
      すでに18時をまわり暗くなってきた。食料が尽きてきているが、旅ももう終わりなので、公園入口にあったコンビニまで
     歩いてお買い物。ローソンに現代の生活を感じる。メシを食い、仕入れた酒を飲みつつ日記でも書こう、と照明のある
     東屋へ。先客の兄さんが1人。「こんばんはー・・・」「あれ?」「あれ??」

      そこにいたのは、芭露駅の漁業長。いつものことだが旅人の世界は狭すぎる。
     「たにぐうさんは今日はどこから?」「昨日は宗谷岬のバス停泊まり。漁業長は?」「今日芭露駅出てきてね」「帰って
     いく感じ?これから」「そうやね、9月いっぱいまでは仕事しないつもりやから、まだ時間はあるんやけど、何となく戻って
     いこうかなってところ」
      持ってきた酒を酌み交わし、旅の来し方行く末を語り合いながら、北海道最後の夜は更けゆく。



  2005年8月17日  北海道湧別町芭露→北海道稚内市宗谷岬   晴れ時々曇り     走行距離 約230km
       8月18日  北海道稚内市宗谷岬→北海道旭川市西神楽  晴れ時々曇り     走行距離 約350km  



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