北海道 最終回 旅人の夢の跡
外の明るいのに反応。朝か。時計は、しかし、まだ5時過ぎ。テントの中でごそごそとお湯を沸かし、米を
炊く。すでに考えなくても脊髄が勝手に命令してくれる。
6時のNHKラジオが、天気は下り坂であることを告げている。外は曇り空。降り出す前にある程度走って
しまったほうが楽そうやな。
食器を洗いに炊事場に行くと、漁業長はすでにテントを畳んでいた。
「おはようございまーす、はやいっすね」「何となく起きちゃったからね。芭露でだいぶゆっくりしたせいか、
少しは走ろうって感じかな、別に急いでるわけじゃないんやけどな」
テントに戻って自分も撤収開始。単車へ荷物を運ぶ。漁業長が先に出発準備完了。
「隼なんですね(バイクの名前)、芭露ではちっとも気にしてなかったけど、速いやつですやん」
「でも、僕はゆっくりしてるから、ハヤブサやなくて『トンビ』やな(笑)」
「なら、ツーリングライダー向けに、『鳶』って車体に書いたら、かっこいいですね」
「鳶やと遅そうやな、それに漢字やと、職人みたいや、鳶職(笑)」
「じゃあ、地下足袋履いて、安全第一ヘルメットで乗らなあかんですね(笑)」
くだらない掛け合いがおもしろい。
「じゃあ、ぼちぼち行きますわ。たにぐうさんも気をつけて」
「漁業長も、よい旅を」
トンビ、でなくハヤブサは、ブイーーンと軽く加速して、走り去っていった。
さて、こちらも出発だ。今日は夕方に苫小牧からフェリーに乗るだけ。あと200kmもないくらいだ。
国道を南へ。6年ぶりの富良野だ。ふと、道ばたに見覚えのあるパチンコ屋。駐車場に乗り入れる。
1999年には、その夏限定のプレハブ小屋無料温泉があって、掘削したての適温源泉がどばどば掛け流し
だったのだが、小屋はやはり跡形もない。道路の反対側には立派なホテルができている。見れば「足湯」の看板
あり。少し期待して近づく、が、たまっているお湯はぬるいし、鉄分も劣化して何だか錆びた水。まあ、仕方ないな。
気を取り直し、富良野へ。懐かしい気分になる。6年前の拠点だったライダーハウスはすでに閉鎖しているので、
市街地は通過。国道を南へ。そういえばこの先に、扇山のにんじん工場があったなあ。農道に入る。通勤した道だ。
とうもろこし畑の真っ直ぐを行く、が、工場が一向に現れない。あれ、おかしいなあ。引き返す、と、妙な空き地が。
ここだ。昔の小学校を改造した工場は、きれいに更地にされていた。旅した場所は変わっていく。
そして旅した自分も。
そして、その先にある、今はどうなっているのか、とても気になっていた場所へ。
鳥沼公園キャンプ場(跡)
誰も、いない。
駐車場にずらりと並んだ旅人のバイクに自転車。ブルーシートを上手に組み合わせて張られた、生活臭
全開のテント群。炊事棟に貼られたアルバイト募集のチラシ。オーラを纏った、長期キャンパーども。
バイク雑誌で、鳥沼のキャンプ場が閉鎖されたことを知った。市が述べる閉鎖の理由は忘れたが、記事を読んで、
要は、貧乏長期旅人が住み着いて治安が悪い、雰囲気が悪い、だからこいつらを締め出す、ということだと理解した。
確かに、普通の旅行者やキャンパーからすれば、近寄りがたい雰囲気はあるし、住み着いてヌシみたいな輩はいるし、
そのくせ観光でカネを落とすわけでもない集団なわけで、観光にはマイナスだと判断するのも分からんではない。
だけど、ここからアルバイトに出かけて、地域の季節の労働力にもなっているというプラスもあるはずなのだが、
観光地のイメージを良くすることが優先らしい。鳥沼に限らず、やはり旅人の多かった中富良野の森林公園キャンプ場は
有料化されたし、その他でも、むさくるしい旅人を締め出す動きが目に付く。もちろん、旅人のマナーがよいとは言えない
ところもあるので、行政とかが悪い、と一概には言えないが、しかし、旅人に寛容な北海道では、少しずつ、なくなっている
のかもしれない。しかし、みんな、どこに行ったのだろう。いなくなったわけではないはずで、きっとまた、どこかに、
新しいねぐらを見つけているのだろう。そいつに遭うには、自分も長い放浪の旅に出るしかない。
雨がぽつぽつ落ちてきた。カッパを着て、走り出す。
占冠への峠道を登る頃には、本降りになる。寒い。手がかじかむ。スリップしないように慎重に峠を下り、日高町へと
峠を登る。標高500mの日高峠、意外にも山は深い。雨は土砂降り。寒い。
峠を下り日高町。交差する国道274号は行きに通った道なので、そっちには行かない。沙流川に沿ってゆるやかに
下る国道237号を進む。車少なく、集落もたまに現れる程度。やがて右手におおきなダム湖。二風谷ダム。このダム
を作ったために、アイヌの聖地が湖底に沈むことになり、物議を醸したニュースをかなり前に見た。道ばたにはアイヌ
文化の博物館。北海道にはたくさん来ているが、アイヌ文化について学んだことはほとんどない。次回は、そういう旅も
いいかもしれない。と思うのは、すでにこの旅が完全に帰り道になったことの証明でもある。
富川で国道は235号に。鵡川の町の先で、太平洋に出る。日本海ともオホーツクとも違う、蒼く明るい海。雨は上がり、
青空が出てきた。
11時半、苫小牧。ツーリングマップルを見て、昼飯は港にある市場の食堂へ。苫小牧はホッキ貝が有名。僕の知る
ホッキ貝は寿司ネタでボイルされて赤白色になったやつだが、ここは水揚げすぐなので生の黒白色のまま。賑わう食堂
でホッキ丼。ホッキ貝山盛りシャキシャキ歯ごたえで満腹。
とりあえずフェリー埠頭へ。出港まで4時間ほどある。登別あたりまでひとっ走りして温泉に浸かってくるくらいの時間は
余裕である。しかし、出会うものに出会ってきた今、そんな気分にはもうならない。フェリーターミナルの建物前に芝生広場。
脇にバイクを停め、銀マットを敷いて寝転がる。津軽海峡を渡ったのがはるか昔のようだ。そして出会った景色、出会った人。
旅人の感性は、自分の中にちゃんと生きていた。それが何よりの収穫かもしれない。
日が傾いてきた。太平洋フェリーは36時間の長い航海。コッヘル一杯に米を炊く。明日の朝飯まではこれで賄える。
船内ではお湯は手に入る。バイクでスーパーへ行き、カップ麺と酒とつまみを買い込む。あとは飲んだくれて転がっていくだけだ。
時間になり、乗船。二等雑魚寝部屋に拠点を作り、デッキに上がる。出港。北海道から離れるのを実感する。
さらば北海道。次は、当分はないだろうが、次は、どんな旅をしに来るのだろうか。そんなことをぼんやり考えながら、遠ざかる
北の大地を、ぼんやりと眺め続けた。
(了)
2005年8月19日 北海道旭川市西神楽→北海道苫小牧市 曇り/雨/晴れ 走行距離 約230km
2005年8月20日・21日 太平洋フェリー 苫小牧→仙台→名古屋