さすらいの労働者編1:プロローグ
たにぐうです。新章の始まりです。
この日記は、2000年9月4日から約2ヶ月、
北海道富良野で働く旅(?)のお話です。
名付けて、「さすらいの労働者編」
9月5日(火)
2ヶ月ぶりの過積載装備はえらく巨大に見える。
こんなん背負って日本を一周りしてきたなんて、冗談としか思えない(笑)
昼前の電車に乗り、今日の目的地である長野を目指す。
日本一周が終わってからは、教員試験をいくつか受け、
その間を縫っては 軽トラを使ってあちこち出歩く日々だった。
日本一周は終わったけれど、 旅そのものが終わった感じはなく、
家にいるのはどうも落ち着かない。
しかし、軽トラの荷台にテントを張った、
自称キャンピングカーで野山を駆け回っても、
3日もやると飽きて、さっさと家に帰ってくる。
で、やっぱり家は落ち着かず、またうろつきに行く。
そんなことの繰り返し。
そう、旅は徒歩じゃないと物足りんのだ。
とはいえ、日本一周で軍資金はほぼ尽きているし、
ここを歩きたい、という強い欲求も今んとこはない。
で、思いついたのが富良野でのアルバイト。
18キップの有効期間だから1万円強あれば富良野まで行ける。
バイトにありつけなかったら、宗谷岬にでも歩いてけばいいや。
そんな思いつきからの、旅立ちである。
いつもは必ず立ち寄る松本だが、乗り換えのみで素通り。
初日は長野市在住で大学の同期でもあるニキを訪ねる。
ニキに会うのは3年ぶりだ。
彼はこの4月から1人で 「フリースクール型総合塾」なるものを経営している。
不登校な子もそうでない子も受け入れてるらしく、
また、そういう需要があるのだそうな。
再会早々、酒を飲んでる訳でもないのに、教育について熱く語る。
お互い教育に関わる身になって(俺はまだやけど)、
こんな所で語り合うとは全く予期せぬできごとである。
僕の旅日記についても、「もっと感情の起伏を出した方が
人間たにぐうが見えて面白いで」、と率直な意見。
その点は後々反映させよう。
22時、塾閉店。
ニキの元職場の同僚でコンビニ経営者の宮下さんと合流し焼き肉へ。
2人とも会社やめて独立してるのだ。
ごち。明日はニキの塾に居座ることにする。
9/6(水)
10時塾開店。
生徒は好きな時に来るようになってるので、午前中は誰も来ない。
よってニキは勉強、僕はせっせと原稿書き。
「旅日記を本にする気があるなら知り合いの記者に話してみよか?」
とニキ提案。このへんの行動が早いのが、さすがは経営者。
早速ニキの知り合いの長野新聞社の記者氏を呼んで、どんなもんか話を聞く。
ここで、旅日記の本化について学習したのは、
コネがモノをいう事と、売れるネタじゃなきゃダメってこと。
そら商売やからな当然だわな。
で、旅の話なら「電波少年」で、ええ話なら「五体不満足」で
すでに間に合ってるそうな。たいして期待してなかったし、
まあこんなもんでしょって所やな。
夕方、隣の英会話教室の先生が近所の小学校へ講演に行く。
ニキも通訳で行くので ついて行く。講演の相手は先生たち。
うまうまと潜り込んでいろいろ観察させてもらう。
最も目を見張ったことを1つ。
ニキはまだ27の若造でも塾経営者=社長なので、
相手が校長先生でも立場は全くの対等。
傍目にはこっけいなぐらいだけど、対等。
社会的地位の底辺に居座るたにぐうには、目を見張るできごと(笑)
「立場が人を作る」というやつだ。
「面白いやろ。でも、それにおぼれたら あかんのやけどな」。
終わってからニキが言った。
9/7(木)
来月、ニキがFM善光寺で不定期に持っている番組があるという。
それに出演することを約束し、電車で北上を再開。
仕事っちゅうもんについて、何かと考えさせられる長野滞在であった。
つづく。