たにぐうです。お遍路は深い・・・。


2/22 (火) 

香我美町→南国市 晴 20km


キャンプ場はたいへん落ち着く。ゆっくりと10時出。
しかーし、朝からくしゃみ出まくり。
花粉症の季節がやってきたー。げげ。

ようやく海沿いが終わり平野に出てきた。スーパーで
コンロの風防用に段ボール確保。岩手から来た
1代目はここで引退。えらく長持ちだったな。

12時、二十八番は3つ目の大日寺。
境内は本堂、大師堂とお堂もう1つ。すっきり広々。
塀や壁、境内の地面が白く、白い寺。
シンプル・イズ・ベストってとこだ。昼めし食ってのんびり。

国分寺へは田んぼ道田舎道。おへんろ休憩所の看板の建物あり。
中に入ると遍路だというおじさん1人。話すと、このおじさんは
寺にはほとんど行かず道もへんろの道じゃない方が多いと言う。

第一、宗派とかが大嫌いだとか。クリシュナムルティーの
「瞑想録」から悟りを開いた、人々は宗教家を信じこんでいるだけ、
本当は自身の内に神がいる、でもそれは求めては得られない、
シャカは人に仏教を教えてもらったわけではない、
などなど、ぼそぼそと語る。

乳母車を押して歩いているので(乞食遍路ってやつ)、
へんろ宿であってもいい顔されないことが多いらしい。
まあ、俺には言ってることの真偽を
確かめる術はないけど、なんか興味ひかれる。

「がんばらなくていいから。肩の力抜いてまわりな」
そう言える所は信用できるか。霊場をぐるぐるするだけが
お遍路の全てではないようだ。お遍路は深い・・・。

二十九番国分寺は田園の中の杜。
仁王門くぐって杜に入ると正面にこけら葺きの金堂。
うわーーーー。叫ぶ。な〜んと美しい!!見とれる。
ため息。ふわ〜〜。こらすごいぞ。

寺は聖武帝+行基の開基だが、堂は永禄元年再建。
杜に囲まれているので境内は静寂そのもの。いやー、おちつくね。まったり。

納経所で石屋の接待宿を教えられ、南国市の丸和石材へ。
事務所横のお堂に泊まるのかと思いきや、
会社の2階に部屋あり。テレビにエアコン、冷蔵庫にレンジにふとん・・・。
旅館だぜよこれ・・・。「タタミじゃー」、
とタタミにはいつくばる。そのうえ、おかみさんが
食事を作ってくれていた。すいとんうまい。ごちそうさま。

会社の人が帰った後、同宿者ようやく到着。20歳の2人は
宮崎からヒッチハイクと野宿でお遍路。新しいお遍路スタイルだね。
電気があるので3人とも日記や手紙を書く。ふとんだー。爆眠。


2/23 (水)

 南国市→高知市 晴 23km

ゆっくりメシを食い、片付け。掃除機があったので
ひとそうじ。ライダーハウスの時もそうだったけど、
これがマナーってもんでしょ。社長さん社員さんにお礼を言って出発。
みんな穏やかな雰囲気だ。お接待もここまでくると、
遍路のためと言うより、己のためというか、
何というか。お接待も奥が深い・・・。

休養十分快足で三十番善楽寺は土佐一宮の隣。
本堂が非木造なのはちょっとねえ。しかし脇の梅が
いい味出してる。納経所でおかみさんと花粉症の話。
首にツボがあるらしい。

銀行、郵便局で雑用すませ三十一番竹林寺へ。
こけら葺の本堂と、向かい合う大師堂。この境内と大師堂の
屋根の反り具合がいい。休憩所で大根を炊いていて、
ご自由になのでいただく。これうまい。ごち。

庭園を拝観。たにぐうは寺の庭園大好き(特に枯山水)。
2つめの庭、池の手前側の岸が直線にしてある。
縁側の奥から見ると池の岸が隠れて、縁側の下まで池が
あるように見える。この瞬間、空間が一気に広がった。
対岸の土手と、池と縁側の柱が絶妙。いやー、これは技だー。

寺ではのんびりだが、移動は快足。三十二番禅師峰寺は
海岸の小さい山の上。境内に奇岩露出。室戸の方が一望だ。

今夜はキャンプ場、かつスーパー至近。こういう時こそ魚を食うのだ〜!
「♪さかなさかなさかな〜、魚を食べると〜♪」、
と「お魚天国」を歌いながらスーパーへ突撃。
高知のスーパーでは知らん魚が多くて目移りしてまう。
水族館にいる気分だ。片っ端から買い込んで料理したい所だが、
沖キス、ボラ刺身、ウツボたたきで我慢。さあ、今夜はぱーちーだ。

種崎海岸の東屋には先客のテント。21番と日和佐で会った
徳島のおじさんだ。さし入れビールを飲みつつメシ。
キスの塩焼きうま〜い。ウツボは新しい味だ。
おじさんの名前もたにぐうさん。野宿の人とは話が合うね。


2/24 (木)

 高知市→土佐市 晴 22km+車3km

おじさんと話しながら朝食。お互いのろのろだから
また会えそうだ。おじさんいわく、
「急ぐんなら車で行くよ」。そうそう。先に出発。

三十三番雪蹊寺。おかみさんの息子さんは20数年前に
単車で世界一周したそうな。29番で会った長野県のご夫婦と再会。
車だけどゆっくり回っているそうな。

34番へ。車が停まり、さっき33番でお経をあげていた
坊さん風情のじいさんが、「乗ってかんか」と言う。
坊さんならおもろい話が聞けるかも、と思い乗せてもらう。
巡拝224回目だと。ふーん、そりゃすごいね。

三十四番種間寺は田んぼの中。納め札(寺やお接待された時に渡す札)も
線香もローソクも持たない僕に向かってこのお方、
「貧乏とか言って、ほんまは銀行にようけ預けとんのとちゃうのか」
とのたまわれる。ええやん、その分過積載野宿徒歩なんやから。

いきなり納経所へ行くとこのお方、
「おはようございまあす!このお若い方に納経をお願いしまあす!」
と高らかに宣言して本堂に行ってしまわれる。
あっけにとられる僕に、おかみさんが、
「歩きでしょ?あの人といっしょじゃないよね?」。
いっしょにされてたまるかい。

35番への道を教えてもらう。ここで思いあたった。
このお方、よく団体さんを引き連れておまいりしている、「大先達」だ。
おまいりを終えると、さっさと次へ行こうとする。
しかも俺を須崎まで連れて行く気らしい。
そいつは冗談じゃない。断ると、
「まあ、乗れ。人の親切を無にするもんじゃない!」
などと言い出す始末。そいつは親切とは言わん、傲慢と言うんだぜよ。
押し問答の末ようやく解放される。やれやれ、何やねん一体。

35番への道すがら、考える。このお方、「大先達」として
若い遍路を導いてやろう、などと考えていたのだろうか?
しかし、歩き遍路は歩きたいから歩いて回っているわけで、
それを車に乗せて連れてくってのはいかがなもんかなあ。
しかも結構強引だぞ。224回とは言うが、
野宿で歩いて回ったことあんのかねえ。

だいたい、僕はまず旅人だ。旅人に先達などいらない。
今の僕はお遍路だが、お遍路で先達になれるのは弘法大師だけだ。
大先達ともなれば、相当「偉い」んだろうが、
それはその宗派の中の価値だ。で、今の宗教は政治といっしょで、
そのものよりも金もうけに忙しいから、嫌いなんだよね。

それに地位も名誉もない徒ほほな僕に、地位や名誉を振りかざすなんてね。
安田町で会った逆打ちのおじさんが、
「お遍路やってる人でも、社会的地位の
高い人や、大先達とかにはロクなのがおらん」、
と言っていたがどうやらこれは当たっているらしい。

信心て、地位とか名誉とかじゃなくて、
自分自身を高めるもんじゃないんかなあ。
もっとも弘法大師はじめ宗教家はそれを広めなきゃいけないから、
そうも言ってられんのだろうが。

とにかく、宗旨宗派の類いはますます嫌いになった。
それと、クリシュナおじさんの言ってたことがちょこっと分かったような気がした。


さて。三十五番清滝寺は里山の中腹。
みかん売りのばあちゃんと歓談し、みかんもらう。
大先達の一件のあとだけに、なんかほっとする。
僕は作法とかなんとかに沿ってお経をあげるよりも、
境内でのんびりして人と話すのが好きなのだ。
もちろん、おまいりする時はお大師さま始め、
いろんな方々に感謝して手を合わせているけどね。
感謝と謙虚については、お遍路やりだしてからよく考えるなあ。

今夜はゲリラかな〜、と思い進むと、塚地峠登り口に
公園と東屋。東屋はおちつく。ここで野宿。

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