たにぐうです。今回お遍路やるにあたって、
予習は全くしませんでした。
でも、ここだけは探して行こう、と思っていた
場所が1つだけあります。それは気に入った寺を
見付けることでも、山道へんろ道でもありません。
「橋の下」、なのです(謎)。
ここが「橋の下野宿」の始まりだあー!!


3/10 (金)

 三間町→大洲市 晴/曇り 38km

今日の標的は38km先の橋の下。やる気満々で7時出。

すぐに42番佛木寺。県道脇の里山のすそ。
フル木造で、本坊は全ての戸が障子だ。朝の寺は気持ちがいい。
不信心でもこの雰囲気は落ち着くなあ。地元のおばちゃんと長話。

ここから歯長峠へは山道。車道との分岐の標識には、
「苦をとるか楽をとるか、胸三寸の断」とある。
当然山道。すぐに鎖付きの激坂。下りだったらいやな所だ。

頂上は日当たりのいい草地。ごろごろ。
小屋、と思ったら番外霊場らしく、お札も修めてある。
なにげにお札に目をやると、おお!、11番で同宿した
ケンの名前が書いてある。日付は2/26だからもう2週間前だ。
僕がぶらぶらしている間に、彼はてくてく進んでいるらしい。
ゆっくり休んだ後、杉林の枯れ葉を踏みしめ峠を下る。

おばちゃんにみかんをもらい、43番明石寺へ。
41、42番と同じようなロケーションだが境内は広い。
山門、本堂の屋根瓦が赤い!年季の入った木造の堂によく似合う。
日なたの縁台でごろごろ。タクシーの運ちゃんや、
セミ歩きのおじさんと長話。若い人では、
供養とかで回る人が多いらしい。

昼過ぎて腹へり。スーパーで弁当買って食い。おばちゃんに
ジュースをいただく。さあ、移動モード。
じゃんじゃん歩いて大洲市。峠を下って街に入る頃には
真っ暗だ。街はずれまで進み。バイパスとの交差点の先に、
その橋はあった。ここが十夜ヶ橋(とよがはし)。ついに来た。

弘法大師がこの地にさしかかった時、
日も暮れ空腹のまま小さな土橋の下で一夜を過ごした。
あまりの寒さに一夜が十夜にも思えたという。
詠み歌には「行きなやむ浮世の人を渡さずば 
一夜も十夜の橋と思ほゆ」とある。
それで、この橋を十夜ヶ橋と呼ぶようになったそうな。

今は国道56号が上を通る、どこにでもある小さな橋。
たもとには永徳寺が建つ。ここは番外霊場でもある。
橋を渡って階段を下り橋の下へ。5 10mほどの空間に小さな祠。
ついに来た。ここは橋の下野宿の始まりだ。

確実な記録ではここが最初だろう。いやいやいや、感慨深いね。
長い野宿生活だから余計だよ。
寺には通夜堂(お遍路が泊まれるお堂)があり布団付きで先客もいたが、
ここは橋の下でなきゃ意味がない。
地面に転がってみるがさすがに寒い。テントは張らせてもらおう。
ここは野宿旅人でなければ、橋の下で寝たことがなければ、
その重さを計り知ることはできない。

「野宿道場」の看板があるが、道場なんて言うのは
野宿をしない人の発想だわな。僕ら野宿は普通の人にとっては
野宿の聖地とでも言おうか。橋の下が野宿指定地なんて、
おそらく日本ではここだけだろう。

もう23時。今宵はお大師さまとともに、おやすみなさい。


3/11 (土) 

大洲市→内子町 雨 23km

5時頃から人がおまいりに来ているようだ。6時起。
やってくる地元民と話ししながら炊事。NHKの番組にも出たという
ばあちゃんは、ここにおまいりしてから持病が治り、
以来毎日来るという。この橋の下は、年に数回
水没するらしいが、それでも祠などは移さないそうだ。
さすがだね。団体さんがやってきては、
お経をあげていくけど、ここだけは譲れんぜよ。

堂々とゆっくりと撤収し9時出発。

昼ごろから雨強い。内子の道の駅は、裏に公園や東屋があり
ひかれるが、迷ったらGO!。国道379号へ進む。

14時半、「へんろ無料宿」の看板のかかった農家の倉庫あり。
迷うがまだ行く。幹線から1本入ったので、谷間の村が続く。
寝るによさげなバス停やお堂がちらほら。
高知のクリシュナ氏が言っていた、
「鍵のかかってないお堂は泊まっていい」
という言葉を思い出す。

16時半、路木のコンクリート製の大師堂を覗くと、
中にすのことゴザが置いてある。
ガラガラガラ(戸を閉める音)。おやすみなさい(笑)
店を広げパスタを食ってまったり。
ゴザを入り口に立てて風防にすれば快適だ。
今宵もお大師さまとともに、おやすみなさい。


3/12 (日)

 内子町→久万町 曇り|晴 24km

お堂に置いてあったローソクと線香をあげてから出発。
ほどなく小田町に入り、二股。どっちからでも行けるようだが、
へんろ道を選択し左へ。谷間いよいよ狭まる。

昨日から廃屋が目につく。そのわりに充実している
バス待合所の小屋で、風を避けて一服しながら進む。
下坂場峠を登ると久万町。ここは高原だ。

ほどなくひわた峠への登り。途中から細い山道。
昨日の雪がだいぶ残ってる。下りに入ると溶けた雪で
道はどろどろ。慎重に下るがあっさりしりもちでどろんこ。
ぎええええ。なんとか林道へ脱出。遠回りだが
泥はイヤなので林道を下る。

下りきると久万の町。スーパーでしこたま買い物し、
町のすぐ裏にあるキャンプ場へ。見た目はただの公園だが、
林間がキャンプサイトっぽい。巨大東屋があったので
まだ16時だがさっさと設営。さあ今宵は肉じゃあー!
鶏肉鶏レバーをニラと玉ねぎとともに炒める。
スープも。やー、うめーぞおー。満腹だあ。
高原なので冷え込んできた。食って体が温もってるうちに寝るべし。

花粉症のせいで夜中に鼻をかむのと口が乾くので
起きてしまうのがとってもめんどう。


3/13 (月) 

久万町←→美川村 晴 24km

霧が出てめっちゃ寒い。7時すぎとりあえずメシ。
鶏肉スープだ。いつも粗食でたまにいいもん食うと、
排出される気体やら固体やらに、食ったものの
匂いが反映されるのがよお〜く分かる(^^;;。

暖かくなるのを待って10時出。四十四番大宝寺は杉木立の山寺。
迫力の仁王門と仁王さん(室町時代作)がお出迎え。
団体のおばちゃんと話すと、「坊さんになるの?」と言われる。
歩き遍路がみんな坊さんになったら真言宗は坊さんだらけじゃー(爆)。

寺からは幅のある山道で峠を越え、河合の東屋で一服。
今日のルートは全線が四国のみちと重なっているので
東屋トイレは充実。車道が少ないのはうれしい。

ひと登りして八丁坂へ。この坂は修業の道で激坂。きつーい。
登りきると視界広がり雪をいただく
石鎚や四国カルストの山なみ展開。うおおおー。
静かな尾根道を進むと聞こえるは風音のみ。

11番から12番への道に通じる空気。道以外に人工物なく、楽しく長く感じる道のり。
やがて尾根を下ると正面に岩壁立ちはだかる。
その割れ目を鎖と梯で登る修験の場だが、入口は封鎖されている。
残念。岩壁に沿って下っていくと山門が現れる。

四十五番岩屋寺だ。岩峰に囲まれた崖っぷちの寺。
本坊は建物の半分は岩壁にめりこんでいる。迫力あり、
しかし落ち着いた静かな寺。ひとまわりして納経所に戻ると、
住職さんがコーヒーとお菓子を出してくれる。
いただきながら、納経待ちの黒装束おじさんや
ねーさんたちと歓談長話。別れ際、黒装束おじさんが
「これで温いもんでも食いや」、と千円札渡してくれる。ごちです。
住職さんに礼を言って下山。こちら側にも門がある。

俗世間側と修験側の両方に向かって門があるのだ。
車道まで降りて見上げると、岩峰がすぐそこに見える。
よっぽど急だな。しばし歩くと長岡ナンバーの
軽自動車が停まる。さっきのねーさんだ。
「おせんべつだよ」、とフィルム3本くれる。ありがたや。
車も気をつけてね。いい人に会えた寺って好印象だね。
岩屋寺は気に入った。

古岩屋温泉で汗を流し、日没の車道をぶっとばして町へ戻ると
19時半。スーパーで買い物し、朝のキャンプ場に戻ると20時半。
さあ、自炊だあ。鯛のアラ汁にグレの塩焼き。
グレは白身で鯛に近い、まったりした味でうまい。
げふ〜〜。食ったら眠い。行動も食事も充実の1日だあ。


3/14 (火)

 久万町→松山市 晴 27km

5時半起。水道ばっちり凍結。松本と変わらんがな。
タラコごはんとラーメン食って8時出。

国道はゆるやかに登り、10時に三坂峠。
春がすみの松山平野を見下ろす。これでようやく平地だぞ。
自販機の前で一服。やってきたおじさんと長話。
オフバイクや釣りをやる人で話が合う。
さらに和歌山の団体のバス運ちゃんと長話で11時出。

歩き道の山道をどんどん下る。山里に下りれば空気は春。
おばちゃんと歓談。番外霊場網掛石は巨大な石。
弘法大師が担い棒で石を運んでいたところ、
棒が折れて転げた石だそうな。由来があれば橋でも石でも霊場だ。

昼すぎ、四十六番浄瑠璃寺。農村集落内にあるのだが、
ちょっとした杜になっていて静か。納経所の若い坊さんが
お接待にと、あられとポップコーンの入った袋をくれる。
ごち。食いながら次へ。

途中、京都らかという歩き遍路の
おじさん(といっても歳は70近いらしい)と、
田んぼの中で1時間長話。お遍路同士で話すと、
相手はたいがい僕よりよっぽど年配なので、僕は聞き役が多いっす。

四十七番八坂寺は、本坊工事中で納経所はプレハブだ。
若い坊さんと石道標の話。この先に松山で
一番古い道標があるらしい。お接待にみかんをいただく。
さらに隣の小屋で生姜湯をいただく。
くつろいでいた地元のおじさんに、
「歩いていく人は裕福だよ。心がね」、と言われる。
ここまでに、「歩きは金持ち」という発言を何度か聞いた
(そりゃ宿泊まりの人は金持ちだわな)

が、「心が」と言ったのはこのおじさんが初めて。名言だね。

寛政時代の道標は摩耗激しく「へんろ道」ぐらいしか読めない。
続いて番外文殊院はお遍路の始祖、衛門三郎
ゆかりの寺。この話を書くとくか・・・。

弘法大師が強欲長者の衛門三郎の家に托鉢にやってきた。
衛門三郎は、うるせえ奴だ、とっととうせろ!と
鉢を叩き割った。すると翌日から8人の子供が次々死んだ。
悪いことが束になってやってきた。衛門三郎は、
こないだの坊さんはもしや名高き弘法大師ではないか!と気が付いた。

こりゃあ大変なことをした。ワビ入れにいかなくちゃ。
財産を整理し、白装束に編み笠、杖というお遍路スタイルで出発。
家の近くにあった大師の庵を訪ねるが留守。
霊場を順番に回るが20回以上行けども大師に会えず。
それでは、と逆回りを始めるが12番焼山寺に登る途中で力尽きる。

とそこへ大師が現れ許してもらって息絶えた。
大師は三郎の杖を植えて墓を作ったのが番外杖杉庵、というお話。
これがお遍路の始まりだそうな。
今のお遍路に反映されてることが多い話なんですね。

17時、四十八番西林寺。本堂や大師堂以外にも小さなお堂が多数。
もう閉店前だし誰も来んやろ、とゆっくりお参りしていると
団体バス現る。ほげ!納経所へ走るがすでに団体さんの
掛け軸や納経帳が山と積まれており、寺の人が
3人がかりで筆を走らせている。うげえ〜!

間に入れてもらってさっさと済ませたが、こうなると
お寺でゆっくりできんよなあ。寺の人とも話できないし。
団体はこれから増えるみたいやし。そう思うとお遍路は真夏か冬がいいね。

49番浄土寺前で打ち止め。温泉で時間つぶしたあと
電車で街の中心へ。今宵は大学時代の友人堀部ちゃんの
マンションにお世話になる。会うのは大学3年ぐらい以来か。

近所の居酒屋へ。店員のおねーさん、
さわやかでかわいくまことにたにぐう好み(^^;;
酒がすすむ(^^;;;。日向飯なる、ご飯のタコの
切り身をのせダシ汁かけて食うもの、かなりうまし。
久々のアルコールのため生中3杯でめーてー。
マンションに戻れば速攻撃沈。

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